「ひとにしられで」と「ひとづてならで」

百人一首

百人一首を覚えようと少しずつ口ずさんでいるものの、なかなか覚えられない。

ほとんど同じ?全然違う?

というより、私の年齢で、ただ暗記するのはムリみたい。10秒後には忘れる。

年齢のせいにするのもどうかと思うけど、私も10代のころは、歴史の年号などスタスタ(?)記憶していた気がするから、やはり年齢によるところは多少なりともあるだろう。

それに、せっかくの百人一首、ただ暗記するんじゃもったいない。1000年以上詠み継がれてきた歌を覚えるなら、やっぱり意味や世界観にも触れたい。50代は欲ばりなのだ。意味から入れば、覚えられる気もするし。

ということで、下の句が似ている2首について、読み解いてみることにした。

「ひとにしられでくるよしもがな」

「ひとづてならでいうよしもがな」

下の句だけ見ると、ほとんど同じ。娘は「全然違うよ~」と言うけれど。

 

25番「名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人に知られで くるよしもがな」

作者・藤原定方(873~932年)。

人目をしのぶ恋をしていた定方が、「逢坂山」を「(男女が)逢う」、「さねかづら」を「小寝」、「くる」を「来る」と「たぐり寄せる」にかけて、恋しい人に逢いに行きたい気持ちを綴った歌とされている。

つる草の「さねかづら」をたぐり寄せるように、誰にも知られずにあなたに逢いに行きたい、といったところだろうか。

さねかづらのキュッと詰まった小さく赤い実が、唯一、二人を結びつけているかのような切ない歌。

 

63番「今はただ 思い絶えなむ とばかりを 人づてならで いうよしもがな」

作者・藤原道雅(992~1054年)。

内親王と恋をした道雅は、内親王の父(三条天皇)の怒りにふれて仲を引き裂かれる。そのときの、内親王への思いを断ち切らんとする歌。

今となっては「あなたを諦めます」ということだけでも、人づてではなく、私自身の言葉であなたに伝えたいのです――という感じか。うーん、やっぱり切ない。

藤原氏の世の中だったことを思い知る

どちらも作者は藤原さん。でも、詠まれた時代は100年以上違う。

そして、両方とも恋心を歌ってはいるけれど、秘めた恋のかすかな繋がりと、恋を諦めることを自らに強いた覚悟。たしかにこの2首の世界観はまったく違う。

それはそうと、そもそも百人一首の作者に、藤原さんのなんと多いこと!

百人一首は、歌が作られた年代順に1番から100番まで並べられていて、600年代~1200年代まで、およそ600年にわたる和歌が集められている。

ざっと眺めると、24番の菅家(菅原道真)作「このたびは 幣もとりあえず たむけ山 もみじの錦 神のまにまに」あたりから、藤原氏、もしくは藤原氏と縁の深い人がとにかく多く登場するのだ。

藤原氏が道長を筆頭に娘を天皇に強引に嫁がせて一族の栄華を存続させた名残りは、ここにも顕著。政治的ドロドロの裏のさまざまな人間ドラマの中心も、やはり藤原氏だったことを思わせる。

それにしても百人一首って不思議だ。歌を口ずさんでいると、1000年以上前の人たちが近しく感じられてくる。月夜を見上げたりすると、当時の歌人たちが隣にいて、一緒に眺めているような心持ちになったりもする。

百人一首、奥が深そうだ……

 

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百人一首

Posted by 伊都