お盆の帰省、迎え撃つはコロナ不安

日々のこと

夕

今年のお盆はここ2年と違って、コロナ禍による行動規制がない。

生活の彩りをあきらめない

といっても、政府による規制がないだけで、このところ1日の全国の感染者数は25万人前後。この2年半の中でもっとも多い状況が続いている。

そんな中だけど、オミクロン株はデルタ株に比べると重症化しづらいこともあって、昨年より気分的にはかなり落ち着いて通常の暮らしができているとは思う。

「祭り」や「花火大会」など大勢が集まってこそのイベントはまだ中止になってしまうけれど、それ以外の行事に関しては、できる限り「中止」でなく「実現」の方向に舵を切る動きになってきた。私自身もそうしてる。

結局、ウイルスに負けないということは、ウイルスをただ回避するだけでなく、生活の彩りや潤いを諦めないことも含まれるんじゃないかと思う。

抗原検査キットを使ってみた

ただ、高齢の両親に会うとなると、話は別だ。

50代の私は、たとえかかってしまっても、何とかなるだろう。ただ、80が近い両親には、できることなら感染は回避してもらいたい。ましてや、自分がウイルスを持ち込むなんてもってのほかだ。

コロナウイルスがやっかいなのは、感染初期に症状がないこと。普段、通常の生活をしている私は、電車にも乗るし、買い物や公民館にも行く。夫は毎日、出勤してるし、娘は夏期講習に通っている。

今年のお盆は会えないかな……と思っていたところ、母から「抗原検査キット」なるものを持っているとの連絡あり。

いまやどこの薬局に行っても買えなくなってしまった抗原検査キット。私も何軒も探し歩いたけど、かすりもしなかった。母は、もっと前、キットがまだ薬局の店頭に並んでいる時期に、万一のために購入していたらしく、それを使って遊びに来ないかと言ってくれた。

万一のキットを私たちが使ってしまうことに躊躇いはあったけれど、この状況下、不安な気持ちを抱えながら会うより、サクッと検査して、安心して、マスクもとっぱらって両親に会いたいと思った。

娘と二人、実家へ到着すると、まず抗原検査。キットの説明書とにらめっこし、鼻に綿棒を押し込んでグルグル。娘は綿棒を鼻の奥まで入れすぎたようで、目を真っ赤にしている。

「そんなに入れなくていいよー(>_<)」

親子ともに初めての体験なので、興味津々。かつ、ちょっと緊張。待つこと15分、果たして結果はくっきり陰性だった。

そりゃ、そうだよね(#^.^#)

というわけで、晴れてマスクを取り払い、娘はじいじとばあばの待つリビングへ。私もキットの残骸を片付けて、リビングへ合流。コロナ不安に邪魔されない、楽しいひとときを過ごすことができた。

あたりまえの時間が愛おしい

結局、コロナ禍って、新型コロナウイルスそのものだけでなく、コロナ不安ってやつがクセモノなのかもしれない。

この2年半、両親を訪ねるときは自らの体調が万全の日を選び、食事しているとき以外はマスクをした。でも、気づいたら、お茶を飲みながらマスクなしで話し込んでいて、「あちゃー、いまさらマスクしても同じだね(^▽^;)」なんてことを繰り返していた。

ただ、感染者数が激増している今は、そう言って笑えるほど楽観視できない。ちょっとやり過ぎかな……と思わないでもなかったけど、抗原検査で「陰性」を確認していなかったら、こうも楽しく笑い合って過ごすことはできなかっただろう。

父と母の万一のためのキットを私と娘が使ってしまっていいのかという懸念もあったけど、今回は、これのおかげで心から安心しておしゃべりし、両親とともに豊かなお盆のひとときを過ごすことができた。

言ってみれば、2年半前までは、あたりまえの時間。会えばお茶を飲みながら時間を忘れておしゃべりし、大口開けて笑い、一緒に大皿を囲む。そんな当たり前の日常を奪うコロナウイルスとコロナ不安が憎い。

同時に思う。いやいや、ウイルスごときに奪われてなるものか! と。

あたりまえの愛おしい時間をしっかり持ち続けること。その大切さを改めて感じた1日だった。

 

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