「某」が変化できなくなったワケ

Bookエッセイ

あり得ない状況が普通のことのように感じられる。もしくは、ありふれた日常が歪んで見える。川上弘美さんの作品を読んでいると、そのどちらかに持っていかれる。ときには、どっちも。

何年経っても20歳のまま

『某(ぼう)』は前者だった。と同時に、後者でもあったかもしれない。

性的に未分化で染色体が不安定な「私」は人間ではない。あるとき突然、人の姿でこの世に現れ、ときどき別の人間に変化する。そのたびに年齢も性別も特質も変わるけど、人間じゃないから成長しない。20歳の女性になったら、何年たっても、変化しない限りそのまま20歳。

なんじゃこりゃ?と始めは思うのだけど、読み進めるうちに、川上マジックにはまるのだ。どこかでこういうことが実際に起こっているのかもしれない、と。

そうすると、目の前の景色に、これまでなかった時空が加わる。360度の景色が370度になる感じだ。

突然、成長するようになった

この世にポンと存在した「私」は、16歳のハルカ→17歳の春眠(はるみ:男子)→20代の文夫→ギャルのマリ→25歳のラモーナ→40代の冬樹→0歳児のひかり、へと変化を繰り返す。変化しても、以前の記憶は残っている。

ほんの1年足らずで次へ変化することもあれば、マリは10数年。最後のひかりは事情があって、毎年、1年経ったら1歳分、成長したひかりに変化することを繰り返した。ところが10歳になるころから「成長」するようになったのだ。代わりに変化はできなくなった。

100万回生きて死んだねこ

読みながら、佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』を思い出していた。

すぐに死んでは生まれ変わることを繰り返していたねこは、自分のことだけが大好き。そんなねこが、最後に「愛すること」を知ったとき、永遠の眠りについたというお話。

『某』の「私」は何度も変化したけれど、途中、マリのときだけは10数年と長かった。マリの「人生」は確かにハルカや春眠とはどこか違う。他人との出会いや繋がりもあったし、「気持ちの揺れ」が見え隠れした。さりとて、マリも「成長」はせず、いつまでもギャルのままだった。

0歳のひかりは、事情があって自然な成長に見せるために、毎年、誕生日ごとに1歳上のひかりに生まれ変わった。けれど、10歳を過ぎるころから背が伸び、胸が膨らみ始めた。つまり「成長」し始めたのだ。同時に、変化できなくなった。

これはファンタジーなのか?

ひかりは、「0歳児のひかり」に変化するきっかけとなった「みのり」とともに生きていく。いつしか二人はお互いを思い合うようになっていた。

ひかりもみのりも人間じゃない。突然この世に現れた性的に未分化で染色体が不安定な「某」。だけど二人とも、他の誰かに変化することなく、しかも自然に成長するようになった男女だった。

川上さんは最後に酷な決着を用意しているわけだけど、それも込みで、決して嫌な後味を残さない。ひかりの最後も、みのりもその後も、どこか清々しい。

詠み終えた今、思う。設定からしてファンタジーだけど、実はあり得ることなのかもしれない、と。そして、生きるってどういうことなんだろう……と考え込んでしまうのだ。

 

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