「わたのはら」の大海原はどんな色?
しばらく百人一首から離れていた。
大山札から始めよう!
久しぶりにパラパラめくってみたら、見事に忘れてる。すごいな、私……。
競技かるたでは、「一字決まり」「二字決まり」「大山札(おおやまふだ)」など、早く取るために知っておくべきことがいくつかある。娘に教えられて、私も「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」の1字決まりの7枚は覚えた。
でもね、最初の1字で下の句がわかったところで、そこから探さなきゃならないから、結局、取れないじゃん……てことに気づいた。
ならば、上の句を6音目まで聞かなければ判断できない「大山札」のほうが、ちょっとだけど時間が稼げる! 私は、こっちからものにしよう。
しかし、だ。これがまた同じに思えて頭がぐちゃぐちゃ。こんなときはやっぱり意味と世界観から入るに限る。というわけで……
11番「わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟」
作者・参議篁(小野篁)802~852年
漢詩や和歌に秀でた学者・小野篁は、遣唐使船に乗ることを拒んだことで嵯峨上皇を怒らせ、隠岐島へ流される。隠岐への旅立ちに際して詠んだ歌。
上の句では旅立ちの決意を謳いつつ、広く果てしない海原で見かけた漁師の小さなつり舟に目をとめて「皆に伝えておくれ」と語りかける様子は、隠岐を目指す孤独な航海と、その先のどうしようもない不安を漂わせているように思える。
76番「わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがう 沖つ白波」
作者・法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠道)1097~1164年
宮中の歌合せの会で詠まれた歌。広々とした海、真っ白な雲、雲と見間違えそうな白波……海と空がひとつになって、スコーンと抜けるような清々しさのみが広がる世界。太政大臣、関白、摂政と政治の中心に長く君臨した作者の自信と満ち溢れた思いが伝わってくる。
大海原に映し出された思いとは
同じ「わたの原」で始まる歌で、大海原を謳っていることも同じだけど、そこに込められた思いはまったく違う。
果てしなく広がる青い海の中でたった一人である孤独、これからもずっと一人で生きていかなければならない不安と寂しさが透けて見える11番に対して、この世は我が思うままとでも言いたげな満たされた思いを謳い上げた76番。
私は、小野篁の孤独感に感じ入るなぁ。あまりに青く晴れ渡った大海原にポツンと存在していると、孤独や不安が増幅される感じ、なんとなくわかる……。
一方の藤原さん、摂政、関白、太政大臣まで上り詰めて、てっぺんから眺める景色はそんなに素晴らしいですか? と、いやみの一つも言ってやりたくなる。その大海原の下でたくさんの人が苦しんでいること、アナタは知っていますか? と。
それでも私は取れないのか?!
娘曰く、この2首は「わたのはら や」と「わたのはら こ」なんだって。
なんじゃ、そりゃ?
せめて「わたのはら やそしま」と「わたのはら こぎいでて」と言ってくれ。
でもね、そこまで聞いてると、もう札はなくなっているのです。
競技かるた、恐るべし……。
ちなみに、なぜ「大山札」と呼ばれるのかというと、決まり字を聞き終わる前にどちらかにヤマを張って取ってしまいがちだからなんだって。そのネーミングセンス、好きだわ。
私の場合、50%の確率なら、ヤマも何も、近くにあるほうを取っちゃうけどね。
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