この世には、思いがけない奥行きがあるのかも
1カ月半ぶりに、ブログを開いた。
書くことが思い浮かばない
夏の終わりから今日まで、何をしていたのだろう。別に何をしていたわけでもない。
朝、家族を送り出して家事をし、仕事の調べものや原稿を書いたりして、その合間にピアノを弾き、1週間に一度、フラメンコを踊っていた。
さして変わらない日々を淡々と送っていたのだけど、なんだか不思議なくらい、書くことが思い浮かばなかった。
まあ、いいか。
そう思っていたら、あっとうまに1カ月以上、経っていた。
「岩波文庫的」?!
先日、久々に千葉そごうの三省堂書店をぶらぶら歩いていて、文庫棚の1冊の背表紙の前で立ち止まった。
『月の満ち欠け』佐藤正午・作 岩波文庫的
なに、これ?
装丁は岩波文庫。だけど「岩波文庫」ではなく、「岩波文庫的」だって。
帯に「直木賞受賞作」とあったことで、かすかな記憶をたぐりよせた。
たしか数年前、「岩波書店刊行の小説が初めて直木賞を受賞した」というニュースを耳にした。
直木賞といえば、昔から文藝春秋、たまに新潮社のイメージが強い。ここ10年ほどは、集英社、講談社、角川書店、といった出版社名もよく聞くようになったけど、それでも岩波書店は聞いたことがないなあ…と、当時思った。(調べたら、2017年の受賞作だった)
あれから5年。「岩波文庫的」という見慣れぬ背表紙に惹き寄せられたのも何かの縁、表紙に(特別寄稿=伊坂幸太郎)とあったことにも心惹かれて購入し、帰りの電車で読み始めた。
いつもと同じ風景が……
すんでのところで乗り過ごすところだった。時間に余裕があったなら、きっと千葉発、三鷹行きの総武線を2往復してでも読み続けていただろう。
一瞬で心つかまれ、電車を降りることを忘れそうになりながらも、なんとか家にたどりつき、夜、娘の就寝後、再びページを開いたら、もう閉じることはできなかった。これほど時間を忘れて没頭した読書も久々だ。
読み終えて顔を上げたとき、いつもと同じ風景の色味がどこか違って見える……その本を読む前と後では、生きている世界の何かが違って感じられる……そんな読書体験が稀にある。『月の満ち欠け』はそんな本だった。
人は生きて死に、命を繋いでいる。
それはなんとなくわかる。だけど、ここで語られているのは、子孫を残して命を繋ぐ物語ではなく、死んだのち〝月のように〟再び生まれ変わって、別の人生を生きる物語。
世の中には不思議なことはいろいろあるし、きっと解明されていないことのほうが圧倒的に多い。死んだことがある人がいない以上、「こんなことは絶対ない!」とは誰も言い切れないように思う。
もし、この物語に描かれているようなことが実際に起こり得るのだとしたら……。
リアルに考えるのではなく、神話を読むようなイメージでとらえてみた。すると、今、私たちが生きている世界に、これまでとは違う奥行きが一瞬にしてグーンと延びるような、そんな感覚を覚える。
世の中に起こる不可解な出来事。どうしても納得できないこと。そんなことを飲み込んでしまうかもしれない奥行きが。
物語の力
すっきり爽やかとは程遠い読後感。
いつもの景色にグラデーションがかかったかのような読後感。
読み終わって1日経っても、2日経っても、ちょっと奇妙な感覚が薄れない。
物語の力をこれでもかというほど感じた作品だった。
ちなみに、「岩波文庫的」というのは、この本だけの称号らしい。古典として評価の定まった作品のみを収録する「岩波文庫」としては、発表されてたった2年のこの作品を「岩波文庫」に入れるわけにいかず、さりとて「岩波文庫」に加えたい。そんな無茶な状況から誕生した「岩波文庫的」。
岩波書店、やるな~(#^.^#)
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