夕焼けと祖父と祖母
NHK朝ドラ「おかえりモネ」の影響も多少あるかもしれないが、最近、よく空を見上げる。
夕焼け空に惹かれる
夕刻、夕食支度に少し気が急いてくるころ、ふと夕焼けに気づいてベランダに出ることが多くなった。
一昨日は、うろこ雲に夕焼けが反射して、ほんの短い時間だったが、竜がゆったり空を散歩しているかのような空だった。
昨日は、うっすら茜色の雲の上に、灰色の雲が重なり、その横に満月が上ってきた。
両方とも、あまりにきれいで思わずスマホでポチッと撮影したのだが、その時間を後で見てみたら「p.m7:04」と「p.m7:05」。偶然にもほぼ同時刻だった。
どちらの空も、30秒後には違う姿になっていた。刻一刻と移り行く空はなかなかドラマチックで、見ているとつい夕食支度を忘れそうになる。
祖父との思い出
夕焼けというと、亡き祖父を思い出す。
祖父は松山、我が家は千葉。離れて暮らしていたので会う機会は少なかった。いや、そうじゃない。私たちは幼いころ、実は祖父にけっこう会っていた。
祖父は仕事で東京に来るたびに、会社が用意した都内のシティホテルを断って、わざわざ電車とバスを乗り継いで1時間近くかけて千葉の我が家に泊まりにきてくれた。
小学生だった私は、そんな事情は知らなかったが、祖父はいつもたくさんの文房具をお土産に持ってきてくれて、それが楽しみでならなかった。
えんぴつ、消しゴム、ホッチキス、セロテープ、そして折り紙やノートなど。当時の私たちにはどれもキラキラした宝物で、それらを妹弟と分け合い、ときに奪い合っている様子を、祖父はいつもニコニコ眺めながら、焼き鳥を食べていた。
なぜいつも焼き鳥なのか当時は疑問にも思っていなかったが、昔から祖父は焼き鳥が大好きだったらしい。年に数回、わざわざ千葉まで足を伸ばしてくれる祖父のために、母が用意していたことを知った。
お風呂に入ることを「ぶんぶこちゃん」と言い、眠ることを「ねんねこちゃん」と表現し、「ぶんぶこちゃんかい?」「そろそろねんねこちゃんかな?」と私たちに話しかけた。言葉少なにいつも笑っている、阪神と焼き鳥が大好きな、温かくて優しい祖父だった。
不思議な夢
そんな祖父が亡くなって10年以上経ったあるとき、明け方に不思議な夢を見た。
時間は夕刻。日が陰って、景色全体が少し茜色がかっていた。広い野原にプールがあって、私はプールのスタート地点に一人、立っていた。プールで泳いでいるのは祖父一人。顔を上げたまま、平泳ぎで手を大きく回しながら、ゆったり向こう側へ泳いでいく祖父の後ろ姿を、私はただじっと眺めていた。
水面から出ているシルバー色の頭部に夕焼けが反射して、キラキラしていた。夕焼けと祖父がものすごくマッチしていて、泣けるほど美しかった。
と、ここで目が覚めてしまった。夢か・・・と少し残念だったけど、その日は偶然、祖父の命日だったことに後で気づいた。10年以上前に見た夢なのに、なぜかこの夢は細部まで、現実と紛うほどに鮮明に覚えていて、いまだに夢か現実か混乱しそうになる。
ふと思い出し、母にこの夢の話をしたことがある。
そのとき母が教えてくれた。「おじいちゃんは、本当に夕焼けが好きだったのよ」と。
そうだったんだ。だから、あんなにも美しかったんだ。
祖母の隣には祖父がいる
生前、祖父は体の強くない祖母をいつも気遣っていて、二人は毎朝、連れだって近くの神社にお参りしていた。祖父はごくごく自然に、歩調をゆっくりな祖母に合わせていた。
私は、松山に遊びに行くと、少しだけ早起きして、祖父と祖母の朝の日課におじゃました。そして、二人の姿を後ろから眺めているのが好きだった。
祖父が亡くなったとき27歳だった私は、51歳になった。祖父がいつも体調を気遣っていた祖母は100歳を超え、健在だ。毎年、年に2回は祖母に会いに松山へ行っている母は、ここ1年半、コロナ禍で会いに行けていない。
そんな中、先月、祖母は101歳の誕生日を迎えた。にこやかに微笑む祖母の写真が送られてきたと、母がその写真を送ってくれた。
子どもに会えない日々を送りながらも、この柔和な表情。
おばあちゃんの隣には、いつもおじいちゃんがいる。そう思えて、なんだか嬉しくて泣けた。
きっと、母がいちばんそう思ったんじゃないだろうか。
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