ゆっくり流れる「読む」という時間

考えたこと

紙

「Web記事は読みづらい」なんて言ってられない世の中になった。大きな声では言えないが、私は今でも、文章をしっかり読みたいときは、Web記事をプリントアウトして、紙で読む。「紙がもったいない」と思わないわけではないけれど。

めいっぱいブレーキを踏める自由

情報を収集し、その中から必要なものを取捨選択するときは、断然Webがいい。広大な情報の海の中からキーワードを拾ってくれるWebは、「調べる」という作業をとてもラクにしてくれた。そして、これぞという資料や読み物に出会ったら、それをプリントアウトして紙で読む。

紙で読むと、その世界にじっくり深く入っていけるのだ。大事なところに差し掛かったら、めいっぱいブレーキを踏んで読むスピードを落とし、時には立ち止まる。そして、少し考えて納得したら、また読み始める。紙で読むとそれが当たり前で、そんな時間が、私にとって「読む」という行為なのだと思う。

記事

Webだと、なぜか読むスピードを調節できないことに最近、気付いた。単調なリズムで読み続け、情報を拾っていく。スピードを緩めてもいいし、止まったっていいはずなのに、Web記事の場合、立ち止まると目がチカチカしてくるのだ。「早く、早く」と急き立てられている気がして、やっぱり止まれない。なぜかわからないけれど。

Web記事

Web記事に慣れようと、なるべくプリントアウトせずに読もうと試みたこともあった。

でも、あるとき思った。「読む」という、ゆっくり流れるあの時間を、何も手離す必要はないんじゃないかと。だから、私は、時代遅れだろうが、何だろうが、じっくり読みたい文章は紙で読む。紙がもったいないことよりも、「読む」ことを大切にしたいから。

雑誌

 

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