運転できない私は、これからどうする?!
私は車の運転ができない。
ペーパードライバー講習&ちょっとの勇気
免許は持っている。
26歳のとき取得したのだけど、あまり運転する機会のないまま、気づいたらペーパードライバーになっていた。その後2回ほど、一念発起してペーパードライバー講習に通って一時的に運転していた期間はある。
一度目は福岡に住んでいたころ。
当時は車を持っていて、娘も生まれたばかり。ちょっとした距離なら娘を後ろに載せての自転車移動が多かったけれど、2歳、3歳と成長するにつれ、少し大きな公園に行きたいとか、ショッピングモールに行きたいなど、私が運転できたほうがいい場面が増えてきた。
で、地域の自動車教習所でペーパードライバー講習を10回ほど受けただろうか。教官から「大丈夫!」のお墨付きをもらって、知ってる道だけではあったけど運転していた。
娘が幼稚園に上がるタイミングで東京へ転居。
道が狭く、電柱の多い周囲環境に恐れをなして運転しなくなった。大きな公園も、幼稚園も、スーパーも、必要な場所へは自転車で行けたから不自由はしなかった。夫からも「道がわかりにくくて狭いからやめたほうがいい」と再三言われ、「やっぱりそうよね」とあっさり退散。
今思うと、車を持っていたあのときこそ、ちょっとの勇気を出して運転を続けておくべきだったと悔やまれてならない。
私は運転に向いてない?!
2年後、近隣県へ引っ越した。
そもそも運転嫌いな夫。維持費もかかるし、駐車場代も馬鹿にならないからと、引っ越しのタイミングで我が家は車を手離した。
駅は一応、徒歩圏内だし、普通に暮らしていれば、自転車生活で不自由はない。けれど、子どもの急な発熱や自身のケガなど何かコトが起こると、やっぱり「車があればなぁ…」と思う。
娘が小学3年生のとき、二人で福岡の糸島半島をへ行くことになり、そのときばかりは車移動したいと切に思った。糸島滞在はたった2日間だけど、2日しかないからこそ、快適に移動したい。行きたい場所は点々としていて、自転車では到底無理だし、バスだと待ち時間が何時間になるかわからない。
そこで、二度目のペーパードライバー講習を受けた。
そのときは約5年のブランクだったが、福岡時代とて頻繁に運転していたわけじゃない。もう一度やり直すつもりで、5回ほど講習を受けた。
私は、運動神経が悪いほうじゃない…と思う。なのになぜだろう、運転となるとからきしダメなのだ。まっすぐの道を走っていても、曲がり角のたびにちょっとドキドキする。誰か出てくるんじゃないかと、頭の片隅に不安がよぎる。
左折のときは、目視で左側を確認しても、いざ曲がるときは何かを巻き込んではいないかと不安になる。右折の際は、交差点の真ん中の停止線まで出るのがちょっと怖い。
5回の講習を受けて教官には「大丈夫」と言ってもらえたけど、自宅周辺でも不安なのに、他県の知らない道をナビを頼りに、しかも幼い娘を同乗させて二人でドライブなんて、やっぱり怖かった。
で、結局、旅先での運転は断念。
嬉しいことに、福岡時代の友人が車で一緒に糸島を巡ってくれたので、そのほうがずっと楽しくて、結果オーライだった。友人の運転は本当に心地よくて、穏やかで、余裕があった。
私は運転に向いていないんだと再確認。かくして、私の薄~い運転の歴史は幕を閉じた。
車が必要なとき、どうするか?!
あれからさらに5年、50代になって数年が過ぎ、最近ときどき思うのだ。「やっぱり運転ができたほうがいいなぁ」と。
つい先日、私が足をケガして思うように歩けなくなった。1カ月もすれば回復するとわかっているけど、やっぱり気軽に出歩けないのは不便。運転さえできれば、カーシェアを利用して買い物にも行けるのに。
実家の両親が体調を崩したときも、やっぱり思った。私が運転して駆けつけられれば、もっと頻繁に助けに行けるのに、と。実家までは電車とバスを乗り継いで小一時間。気軽に行ける距離ではあるけど、毎日訪ねるわけにはいかない。
今年、父が年齢を鑑みて車を手離したこともあり、私が運転さえできればなぁ……とさらに思うことしきり。
三度目のペーパードライバー講習にチャレンジする選択もなくはないけど、福岡と違って、関東圏の狭くてわかりにくい道を実家まで運転できるようになるには、どれほど練習しなくてはならないだろう。何とか行けるようになったとして、運転している時間はやっぱり不安とヒヤヒヤの連続になることは目に見えている。
やっぱり私は運転に向いてない。
このことは、さっさと認めてしまおう。その上でどうするか、だ。
我が家に関しては、私がケガでもしない限り、差し迫って必要ということはなさそうだ。今後はケガしないようせいぜい気を付けるとしよう。
急務ではないけれど、将来を見据えて少しずつ考えていきたいのが、実家への動線確保だ。今、とりあえずできることは、緊急の場合を想定してのタクシーの確保手段を調べておくことと、実家までの経路を確認しておくことだろうか。
父が車を手離したことで、両親の行動範囲が狭まっていることも気がかりだ。
以前は車で頻繁に大きな公園まで行って、二人でウォーキングしていたけれど、それもできなくなった。ちょっとしたことを手離したり、諦めたりすることが、暮らしには実は小さな影となる。
これまで当たり前にしてきたことを、車と一緒に手離してほしくないと私は思う。生活に密着した、高齢者向けのタクシーサービスとか、ないのだろうか。
「高齢になったら免許返納を」を謳うからには、その後のサービスも充実させてほしい。行政も民間も、そういうことに本気で着手する社会にならないと。
そんなこともいろいろ考えながら、私自身、模索してみようと思っている。
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