「はがくれ」は今も続いている

日々のこと

大阪の旅で、懐かしい味に再会した。

うどんの名店「はがくれ」との出会い

もう四半世紀前になるだろうか、1年半ほど、大阪に住んでいたことがある。

そのとき、梅田の第3ビル地下街に足繁く通っていた。目的は「はがくれ」という名のうどん屋さん。讃岐うどんの名店と聞いて、梅田の地下街を迷いながらたどり着いた初回、カウンターに座ってぐるりと周りを見回すと、ほとんど皆、薬味の載ったうどんに醤油をかけるだけの「生じょうゆ」を食していた。

それがあまりに美味しそうで、迷わず「生じょうゆ」を注文した。

数分後、厚みのある砥部焼の器の真ん中で、ツヤツヤしたうどんがお行儀よく並んで鎮座していた。別の器に大根おろしとしょうがとネギとスダチ(だったと思う)。

「うどんのお刺身だ…」

そう思ったことを、今もよく覚えている。

醤油をかけすぎたら台無しや!

店主が「お客さん、初めてやね。生じょうゆは醤油をかけすぎると台無しやから、おっちゃんがかけたる」と言って、「醤油は1周、2周、と半分」と言いながら、目の前で私の器に特製醤油をかけてくれた。そのときの、うどんが愛おしくてならないといった店主の眼差しが、これまた忘れられない。

味は、それはもう絶品。幼いころからうどん好きで、いろいろ食べてきたつもりだけど、間違いなく1等賞。うどんの概念が覆った。だって、うどんがお刺身なのだから。

そんな出会いから約1年、大阪にいる間に何度通ったことだろう。始めの数回は、おっちゃん(店主)に頼んで醤油をかけてもらっていたけれど、そのうち自分でかけるようになった。ときどき「かけすぎんな!」と怒られたけど。

東京に戻ってからも、大阪出張があれば、帰りの新幹線を1本遅らせてでも梅田の第3ビルに向かった。ところが、何年前だっただろう、数年ぶりに「はがくれ」を訪ねたら、そこに店はなくなっていた。

これは神様がくれた再会か?!

今回、大阪に行くことになったとき、改めて「はがくれ」の不在を寂しく思ったが、この旅の目的はUSJ。うどんとか何とか言ってられず、1日中、USJを楽しんだ。

翌朝、10時半に淀屋橋のホテルをチェックアウトしたものの、そこはオフィス街の淀屋橋。周りはオフィスビル、ビル、ビル。大きなリュックを背負った家族3人、どうしたものかと思いながら食べログを検索していたら、ふと1枚の写真が目に飛び込んできた。

砥部焼の器にツヤツヤと並んで鎮座するうどん。うどんのお刺身!これは「はがくれ」のうどんではないか……!

店名は「江戸堀 木田 讃岐うどん」

名前はまったく違うけど、これはどう見てもあの懐かしいうどん。しかも、場所は淀屋橋のお隣、肥後橋。今いる場所から歩いて行ける距離だった。

私たちは11時の開店目掛けて「江戸堀 木田」へ。

そしてなんと、「はがくれ」で10年以上修行してきたという店主・木田さんに出会ったのだ。もちろん「はがくれ」のうどんに再会し、あのころ大好きだった半熟卵とちくわの天ぷらにもお目にかかることができた。

木田さんのご実家が道頓堀で100年以上続く老舗かやく御飯屋さんということで、うどんと一緒に提供されるかやくご飯も、これまた絶品。娘とかやくご飯を分けようとしたら、奥さんがわざわざ引き取って、二人分によそい直し、仕上げの枝豆まで載せてくださった。

ああ、なんて温かい……涙。

聞けば、四半世紀前、私が「はがくれ」に通っていたころ、間違いなく木田さんは「はがくれ」の厨房にいたという。そっか。あんなに何度も通っていたのだから、きっと何度かお会いしているのだろうな。

うどんを茹でる木田さんは、「はがくれ」の店主と同じ表情をしていた。うどんが愛おしくてならないというあの表情を。うどんを冷水でしめるときも、器に美しくよそうときも、私たちの前に出してくれるときも、ずっと。そして、同じように醤油をかけてくれた。「1周、2周、そしてあと半周」と言いながら。懐かしくて、嬉しくて、涙が出た。

「はがくれ」は5年前に閉店したらしい。最後の日には、第3ビルの地下、端から端まで400人以上が列を作ったという。店主は今もご健在で、ご夫妻で元気に暮らされているそうだ。

「はがくれ」はしっかり引き継がれ、ここに続いていた。

 

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