モネ展で、モネという人に初めて会う

日々のこと

上野の国立西洋美術館にモネが来た。

私は絵がわからない?!

10月吉日、久しぶりに晴れたこの日に、母と妹と一緒にモネ展に行った。

母は昔から絵画が好きで、私はこの母に育てられたのに、いまだに絵をどう見たらいいかわからない。見方なんてないことはわかってる。そのときどき「好きだな~」という絵に出逢えたらそれでいいとも思うけど、きっと絵を好きな人は、もっと違う感情が喚起されているんじゃないかと思うのだ。

で、結局、「私は絵を理解できない」と思うに至る。

一つの風景の中で描き続ける

そんな私でも、モネの絵を年代順に見ていくと、これまで単発で見ていた「睡蓮」より、ずっと胸に迫るものがあった。

モネは同じ構図の絵を、少しずつ角度や光の加減を変えながら、何枚も何枚も描いていた。睡蓮だけでなく、その題材は、日の出や港の風景、ポプラ並木、日本橋(自宅庭の池に架かる日本風の橋)にも及ぶ。

長い時間、同じものに向き合い続けるその心は、ある種、狂気だったのだろうか。

いや、モネの絵には不思議と狂気は感じられなくて、大好きな景色の中で朝と昼と夕方の光をただ描きたかったんだろうなぁ…と思える柔らかさがあった。描きながら自らが風景の一部になっていたんじゃないかとさえ思った。

画家を襲った白内障

60代後半からは白内障を発症し、見える世界の色彩が変化していった。それを作品に反映させたことも、モネの作風の変化を生み出している。

同じ睡蓮でも、自然光をいっぱい浴びた温かさに溢れるものもあれば、苦しみを超越した強さを思わせるものがあるのは、目の症状の一進一退が関係しているのかもしれない。

80歳以降、モネはジヴェルニーの自宅の庭(バラの庭)を何枚も描いている。

この時期は彼が白内障の手術を受けた時期と重なっていて(83歳のとき手術を受けたらしい)、視力の変化も大きく影響しているのだろう。自然光の変化に加えて、彼自身の世の中の色彩が刻々と変化していく様子が感じ取れる。

これまで私は、モネといえば印象派の代表で、自然光を描いた優しい絵、どこかぼんやりした抽象画のイメージだったけれど、そんな適当な思い込みは今回、見事に覆された。

モネという一人の画家の人生と画風の変化を重ね合わせながら感じることができて、モネも一人の人間で、家族との別れや新たな出会いと育み、そして病の中にありながら、もがいていたことを知った。

白内障は年齢を重ねれば誰もが発症するもので、今なら手術で視界を取り戻すことができる。しかし当時の手術は危険を伴ったであろうし、視界の回復も今とは雲泥の差だっただろう。それでも、80歳を超えて手術に踏み切ったモネの覚悟と、その後の作品の色彩の変化。そうしたすべてが、クロード・モネの人生だったのだと思う。

モネ展のあと、上野駅近くのレストラン「ブラッスリー・レカン」で【モネ 睡蓮のとき】という名のランチコースをいただいた。

モネの世界観が表現された4皿はなんとも可愛く、クスッと笑えた。

 

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