生と死の境を、1回だけ飛び越えられる?!
もしも、一生に一度だけ、亡くなった人に会うことができるチャンスがあるとしたら・・・
きっとある、あってほしい
生と死は、くっきり隔てられている。〝三途の川〟と表現されるように、渡ったら帰ってこれない。だからこの世に生きる私たちは、誰も死んだことはない。
辻村深月・著『ツナグ』は、一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれる物語。口伝えに静かに知られている「使者(ツナグ)」がいて、その人に連絡をとると、死者を一晩だけこの世に呼び寄せ、会わせてくれるというのだ。
んな、アホな…。おとぎ話の世界に入る気持ちで読み始めたのだが……はまった。
あるかもしれない。きっとある。あってほしい。
ただ、「ツナグ」には決まり事がある。
死者に再会を依頼できるのは一生に一度だけ。死者も、生きている人からの「会いたい」を受け入れることができるのは一度だけ。死者の場合、コンタクトされても断れば、その1回はなくならない。
おとぎ話を超えていく
親友に抱いた嫉妬心からとんでもない行動に出てしまったことを後悔する女子高生。老いた母親に病名を告げないまま他界させてしまったことに苦しみ続ける息子。それぞれ、どうしても死者に聞きたいこと、確かめたいことがあった。
「使者(ツナグ)」を担うのが高校生の少年、というのがずっと謎だったけど、最後の章「使者の心得」でそのいきさつが明かされる。少年の生い立ちは、どうしようもないまでに「使者」へ導かれていた。
とにかく、生きている依頼者にとっても、死者にとっても、たった1回の再会のチャンス。まったくもって、おとぎ話なんだけど、描写があまりにリアルで、どの再会も「会えてよかった」なんてシンプルには終わらない。ときに決定的な罪の意識を植え付けられることにもなる。それゆえか、どうにも、おとぎ話を越えていく。
見えてるものだけがすべてではない?!
依頼者のひとり、母親に病名を告げられなかった頑固なオジサンは、誰が見てもイヤな人。息子には小言ばかり、姪や甥にはいつも憎まれ口。「使者」の少年にも横柄な態度をとる。
人に嫌がられる言い方しかできない彼が、使者を通じて母親に会えたことで、何がもたらされたのか……。そこははっきり書かれていないけど、そんな彼にも、違った面があることを、著者はそっと伝えてくる。
見えてるものだけじゃわからない。言葉だけじゃわからない、と。
もちろん、言葉にしなきゃわからない、も真実だとは思うけど。
私ならどうする?
私なら、どうするだろう。「使者」にもし、依頼できるとしたら?
いつ、どんなとき、「使者」に依頼したいと願うだろう。
死後、誰からの依頼なら、受けるだろう。1回しか受けられないその依頼を。
生と死の境を1回だけ飛び越えられる、そんなシステムが本当に存在するような気がしてならない、この物語を読んでからは。
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