私の「南の島」はどこだろう

Bookエッセイ

『食堂かたつむり』『らいおんのおやつ』『にじいろガーデン』――小川糸さんの作品はどれも、タイトルと表紙絵の世界観が陽だまりみたいにあったかい。

何かありそう。起こりそう

いつも惹かれながら、平積みされた表紙絵を眺めているだけで満足してしまって、読んだことがなかった。

で、今回、初の小川糸作品が『つるかめ助産院』。

「つるかめ」とは、またおめでたく、ふんわりしてる。だけど、珍しく表紙がイラストじゃなくて、写真。緑と海と、女性がひとり。そして助産院の物語か…。何かありそう。何か起こりそうな予感がして手に取った。

笑って食べてお日さまと戯れて

舞台は、南の島。島の名前がいっさい出てこないのも、かえって読み手の想像を掻き立てる。

傷ついた心を抱えて1日だけ訪れたつもりが、この地で自分が妊娠していることを知った20歳のまりあ。まりあの妊娠に気づき、放っておけず招き入れたのが先生(助産師の亀子)だった。まりあは、いったんは島を離れるものの、引き寄せられるように先生のもとに戻って、つるかめ助産院で暮らすことに。

そんなことあるかいな……と思うけど、実はけっこうあるのかもしれない。

南の島の力なのか、ここの人たちは本当によく笑う。愛想笑いなんかじゃない。ゲラゲラ笑う。そして、よく食べる。お日さまの恵みいっぱいの野菜や果物を、ムシャムシャとおいしそうに食べる。

傷心で食欲がなく、やせ細っていたまりあも、笑って食べてお日さまと戯れて、みるみる元気に明るくなっていく。体だけでなく心も。

大きい木には大きな影ができる

自分をまるごと受け入れてくれた先生のように、大きな人間になりたいと、まりあは願う。だけど、一点の曇りもない大きな人間なんていないってことを、島の人たちは教えてくれるのだ。

「大きい木には大きな影ができるし、小さい木には小さな影しかできないの。亀子は誰が見ても大きくて立派な木よ。でも、あんなに明るくて元気だからこそ、その内面に真っ黒い影を包んでいるのかもしれない」

「人生で一番悲しいことを話せるってことが、その人を愛してる証拠なの」

自分の生い立ちに苦しみ、凍りついていたまりあの心が、ジワジワ溶けていくのが手に取るように感じられた。みんな、それぞれ、何か抱えてる。底抜けに明るい島の人たちも、皆、同じ。苦しいのは自分だけじゃないんだ、と。

思い浮かぶのは糸島

海に隔てられた島には、何か特別な力が宿っているのかもしれない。私にとっての「南の島」はどこだろう。

思い浮かぶのは、福岡県の糸島半島。

島ではないけど、山と海に挟まれたあの土地が忘れられない。福岡に住んでいたころ、週末のたびに、糸島へ行った。関東に転居してからも、数年に一度、行っていた。コロナ禍で3年以上行けてない。

糸島の何がそんなに好きなのだろう。海と山。美味しい野菜と魚。いや、いちばん好きだったのは、糸島の空気だと思う。

櫻井神社の澄んだ空気が好きだった。深江の海に沈む夕日が好きだった。

いま、すごく糸島に行きたい。

 

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