過ぎゆく時間と今と私たち
先日、友人と再会した。何年振りだっただろうか、顔を見た瞬間、「やっと会えた」と思った。
会えなくとも、どこにいようとも
28年前、新入社員として同期入社した私たち。13人の同期の中で、ひときわ大きな声でくったくなく笑う彼女の明るさに、新人時代の挫けそうな心を何度救われたことか。一緒にいるだけで元気になれる、そんな人だった。
あれから28年、会社を辞めて何年経とうとも、彼女との縁は続いた。1年に2、3回会えていたころもあれば、私が福岡に引っ越したり、忙しさが重なったりして、数年に一度しか会えなかった時期もある。
そういえば、私が地方に転居するたびに、取材ついでに足を伸ばして会いに来てくれた。グーグルマップなんてない時代だったけど、初めての土地だろうが、田舎だろうが、毎回、サクッと家まで訪ねて来てくれるフットワークと土地勘に舌を巻いたものだ。
私自身、どこに暮らしていても、何年会えなくても、私の中には彼女がいて、新しい土地で仕事を始めたり、妊娠、出産を経て、子育てしているときも、ふと彼女のことを思い出すことが度々あった。
私たち自身の時間を
出会ったころは20代始めだった私たちも50を超えた。
久しぶりに会いたいと思っていた矢先にコロナ禍に突入したので、足かけ3年以上会っていなかったと思う。久々に再会したわけだけど、やっぱり彼女の佇まいは昔のままだった。
もちろん、会社員として階段を上り続けている彼女が、当時のくったくなさのままいられるわけはない。きっと、いろいろあるだろうけど、それでもあの頃のオーラを持ち続けていることが何より素敵だと思う。
私より10年ほど前に母になった彼女。出産直後に会いに行ったことや、3歳になった彼女の息子と3人でディズニーランドに行ったのも懐かしい思い出。
中学生になったばかりの息子クンに再会したときには、「こんなに大きくなって♡」と親戚のオバサンっぷり満載の対応をしたけれど、それとて、もはや7年前。
いまはもう大学2年生になり、自らの道を見つけて飛び立とうとしているそうだ。時の経つのは早いというけれど、実際に痛感するのはこんなとき。私たち二人は何年ぶりに会っても、お互い、昔のままだけど、時間は超スピードで駆け抜けているのだ。
22歳で出会った私たちも、いまは51。これまでは、仕事だ、子どもだと自分のことは二の次になっていたけれど、これからは、私たち自身の時間を、まずは大切に生きていきたい。
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