ドビュッシーは祈り

日々のこと

本

久々にピアノの話。ここ数カ月練習してきた「月の光」を、先日、終えた。

「アラベスク第1番」を練習中

終えたといっても、ミスタッチはあいかわらずあるし、まだまだのレベル。でも、先生から「ドビュッシーの音になってきたね」という嬉しい言葉をいただいて、私の「月探し」は終了した。

でも、まだドビュッシーと別れたくないと思った。だから今、ドビュッシー「アラベスク第1番」に取り組んでいる。

清らかな水が左から右、右から左へサラサラ流れるような冒頭部が印象的。その後すぐ、左手のアルペジオに、右手は三連符が載ってくるという難題にぶち当たった。左手だけなら、そして右手だけなら自然に弾けるのに、左右を合わせると、水の流れが小石に堰き止められるようにプツプツ途切れる。ああ、前途多難……。

ふと思い立ち、本棚から小説『さよならドビュッシー』を探し出し、再読した。

ミステリー小説ではあるけれど

中山七里・著『さよならドビュッシー』は、2009年に『このミス(このミステリーがすごい!)』大賞を受賞したミステリーの傑作。普段、ミステリーをまったく読まない私が、数年前この本を手に取ったのは、音楽小説だったからか。いや、たぶん〝ドビュッシー〟という名前に惹かれたからだったように思う。

ミステリーは、読み始めると途中でページを閉じられなくなくなるから困る。当時、ふと気づくと、夕食支度の時間をとっくに過ぎていた。それでも読み続け、娘の習い事のお迎え時間を過ぎていたときには、マジで焦った。

これはいかん!と、家族が眠ってからページを開くと、気づいたときには夜中2時。それでもやめられないから、やっぱりミステリーは主婦には向いていない。

いっきに読んで、結末の大どんでん返しに面食らったのは昔のこと。今回は結末を知ってるから、いくぶん落ち着いて、音楽小説として穏やかな気持ちで楽しんだ。

ストーリーは大火事あり、事件あり、遺産相続問題ありと、決して穏やかなものではないけれど、主人公の少女は、火事で誰か判別できないほどの大火傷を全身に負いながら、自分自身でいるためにピアノを弾き続ける。どこまでもピアノがストーリーの核にあり、なんといっても、ピアノ演奏の描写が秀逸。音楽小説として十分に楽しめる。

祈りの音楽

主人公が最後にピアノコンクール本選で演奏する曲が、ドビュッシーの「月の光」と「アラベスク第1番」なのだ。多くの演者がショパンやリストといった見せ場満載のコンクール曲を見事に弾き上げる中、ドビュッシーのメロディーを舞台上で静かに奏でながら彼女は想うのだ。

「この旋律が届く全ての人が安らかになるよう願いたい」

「傷付いた魂、ささくれ立った心が慰撫されるように祈りたい」と。

ドビュッシーの曲は〝祈り〟だと思う。力を込めて弾くのではない。研ぎ澄ました想いを指先だけに載せて、鍵盤に伝える。そんな音が紡ぎ出す連なりは、なんともいえない〝祈り〟となる。

小説だから、彼女の演奏を耳で聴いたわけではないけれど、たしかに聴いた気がした。

実はミステリーの結末はまだ先にあって、それを知ると、さらにこの言葉は重みを増すのだけれど。

 

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