9月11日に思うこと

考えたこと

空

今日は2021年9月11日。あれから20年経ったということか……。

石焼ビビンパと夜半の編集部

20年前の9月11日、夜9時半、編集部の仲間たちと仕事を抜け出し、私は夕飯を食べていた。その日は校了日だった。作業が夜中までかかることはわかっていたので、「元気をつけよう!」と仲間4人で熱々の石焼ビビンパを食べたことを覚えている。

30分ほどで食事を終え、「さて、がんばるか!」と編集部に戻ったのは10時を過ぎたころだっただろうか。校了作業に入る直前の一瞬まったりしたいつもの雰囲気とは違い、職場全体がなんだか殺気立ち、そこにいる全員が小さなテレビの周りに集まって、画面に釘付けになっていた。

そこに映し出されていたのは、ニューヨークの貿易センタービルと飛行機。それは、映画の1シーンだとしても恐ろしすぎる、信じられない光景だった。

皆、黙ったまま、ただ画面に見入ることしかできない。遅ればせながらその輪に加わった私たち「ビビンパ」組は、何が起こっているのかを理解するのに時間がかかった。

その日、校了作業を無事終えたのかどうか、まったく記憶がない。雑誌の発売日を飛ばすわけにいかないから、皆でなんとかやり終えたのだろう。

けれど、あの日の記憶は、直前のビビンパと、テレビ画面の光景、そして、自分が今、いったいどこにいるのかわからなくなりそうな心理状態にあったことだけを強烈に思い出す。あの日、あのとき、誰一人、まともに言葉を発することなどできなかった。

ただ、校了日だったから、その場にたくさんの人がいたことだけが救いだった。

世界が壊れていく……

一夜明け、米国内、幾つかの場所で同時に起きた、ハイジャックによる自爆テロであったことがわかった。こんなことが人間社会で起こり得るのか……。まっすぐ立っていられないほどの恐怖だった。

通勤が怖かった。バスに乗っていても、電車に揺られていても、どこにも安心できる場所がない。やっとの思いで職場にたどり着くと、編集部は仕事モードに切り替わっていた。

編集長は、世界同時多発テロというとてつもない事件に雑誌としてどう切り込むか、誰に取材をしてどんな角度の記事にするか、策を練っていた。そういう意味では、いつもの編集部に戻っていた。

雑誌だから、何か事件があれば取材しようとするのは当然だ。だけど、そのときは、編集長やデスクの動きをどこか遠い目で眺めている自分がいた。

取材なんかしてる場合? 世界が壊れていってるのに……。

飛行機に衝突されたおよそ1時間半後、ニューヨークの象徴だった世界貿易センタービルは南棟、北棟ともに、煙を上げて崩れ落ちた。あの一瞬でどれほど多くの尊い命が奪われたのだろうかと思うと、20年経った今も震えが走る。

当たり前という奇蹟

あの日を境に、何か大きなものが揺らいだと感じている。

人は、いつ、どんな形で命が奪われるかわからない。自爆テロなんて、そんな恐ろしいことがあり得る世の中なんだということ。そんな世界に私たちは生きているのだということ。

同じことが日本で起きないと、誰が確信できるだろう。

今日が過ぎたら明日がきて、取材して原稿を書き、校了を終えたら雑誌が発売される。次は誰に取材しよう。来年は何をしよう。10年後は?……そうやって日々が巡ってくることを当たり前と思って生きてきたことが、奇蹟に思えた。

一瞬で何もかもなくなってしまうかもしれない。その現実を目の当たりにして、打ちのめされた。

だから、どう変わったというわけではない。変えられもしないし、どう変えたらいいかもわからなかった。ただ、ずっと当たり前だったことが、決して当たり前でないことだけはわかった。そして、1人でいるより、誰かと一緒にいたいと思うようになった。

あれから20年、あの日から米国はアフガニスタン紛争に身を投じ、両国の多くの命がさらに失われたという。そして今年、米軍はアフガニスタンから完全撤退した。これは何を意味するのだろう。そして、これから何が起こるのだろうか。

ただ一つ、青い空を見ると思う。この空を子どもたちに、次の世代に、きちんと引き継いでいかないといけない、と。

 

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