8月は、目を瞑って祈る月

日々のこと

空

8月半ば。今年も終戦日が過ぎた。

静かな気持ちで目を瞑る

8月に入ると、広島の日(6日)、長崎の日(9日)、日航ジャンボ機の日(12日)、終戦の日(15日)と、目を瞑って黙とうする日が続く。

今年も、8月6日の8時15分、9日の11時2分には、娘と一緒にテレビの前で1分間、黙とうした。

娘の歳のころ、私は広島の小学6年生だった。父の転勤で2年間だけ広島に住んでいたのだが、その2年間が小5~中1という多感な時期に当たっていたことで、私にとって広島は特別な意味を持つ場所になった。

小学校低学年だった妹や、幼稚園に入園したばかりだった弟は、私ほど広島に思い入れはないと思う。

広島の小学校には、毎週「平和教育」という時間があって、その中で平和記念公園にも行ったし、原爆資料館にも行った。原爆資料館の展示を見た日は、いや、見た日から数週間は、夜が怖くて、眠ると悪夢にうなされ続けた。

あのときは眠れない日々を重ねながら、「なんでわざわざこんな怖い思いをしなきゃならないの?!」と思ったものだ。

だけど、あの感じやすい年齢のあのころに、あの展示を見たことは、私の中で確かな何かを作り出していて、その何かによって、毎年、8月6日と8月9日の原爆投下時刻には、静かな気持ちで目を瞑る。

12歳のあのころから40年の月日が流れたけれど、毎年、これは欠かさない。

気づいたら正午を過ぎていた…

さて、今年の8月15日の終戦日は、正午の黙とうをしそびれた。

甲子園を付けていたら忘れることはないと朝から思っていたのに、すっかり忘れてテレビを消していた。娘と二人、ふと気づいたら、p.m12:02。

「あちゃー、過ぎちゃった(-_-;)」

ということで、我が家は12:02から1分間、娘と二人、手を合わせて目を瞑った。

いつもは甲子園球場に響くサイレンとともにしている黙とうも、ただ、目を瞑っていると何だか長くて、そろそろ1分かな…と目を開けてみたら、まだ30秒ちょっと。ちらっと娘を見ると、こちらも細目を開けて、あたりをキョロキョロ('◇’)ゞ

「プッ…」

お互い、噴き出して、今年の終戦日黙とうは40秒そこそこで終了。まあ、今年はこれでよしとしよう。

飛行機に乗れなくなった日

8月にはもう一つ、忘れられない日がある。

日航ジャンボ機が墜落した1985年8月12日。あれは15歳の夏だった。

テレビに映し出された光景はあまりに悲惨で、まっすぐ見ていられなかった。あまりに酷くて、あまりに悲しくて、その日から私は飛行機が嫌いになった。

たぶん10年以上、飛行機に乗らなかったと思う。20代後半のころ、どうしても福岡への日帰り取材をしなくてはならず、清水の舞台から飛び降りる覚悟で10数年ぶりに飛行機に乗った。せめてもの抵抗でANAを選んだ。

その後、地方出張も増えたけど、時間が許される限り、新幹線を使った。

広島だろうが、山口だろうが、早朝の新幹線で現地へ向かった。さすがに鳥取や島根へは観念して飛行機に乗ったけど、帰りは週末にひっかけて「サンライズ出雲」(寝台車)で土曜の朝7時に東京駅に到着した。

その後、福岡へ引っ越してからは帰省のたびに飛行機に乗っていたので徐々に慣れて、今では必要とあらば躊躇なく乗れるまでにはなっている。ただ、なぜか娘も飛行機に乗ると耳が痛くなるとやらで、苦手。結局、今も私たちが福岡へ遊びにいくときは新幹線で行く。

今年も8月12日前後には、新聞やテレビで37年前の墜落事故が取り上げられた。その中の1つ、毎年行われている御巣鷹山への慰霊登山に、88歳の今年、初めて参加を断念されたというご遺族の記事に心つかまれた。

87歳まで毎年、お盆の猛暑の中を、欠かすことなく御巣鷹の尾根に登られていたというのか……。

「37年前から時間が止まっています」

その言葉が重かった。

 

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