大人と子どもの境界線はある?

Bookエッセイ

先月、娘が中学生になった。入学式の日、学校から新入生に1冊の本が贈られ、持ち帰ってきた。

20年前に出会った本

大江健三郎・著『「自分の木」の下で』。その優しい表紙絵に、なんとも懐かしい思いが込み上げた。

20数年前、たしかまだ私が30歳になったばかりのころ、この本は出版された。ノーベル文学賞受賞者という冠はとてつもなく大きくて、10代、20代の私にとって、大江健三郎の文章は難解に思えて敷居が高かった。

その大江氏が子どもに向けて言葉を尽くした本。表紙絵の優しい雰囲気にも魅せられて手に取った日が懐かしい。そしてそれは、子どもだけでなく、30代だった私にも大いに響いた。

ご自身が10歳のころに見て、聞いて、そして考え続けたこと。大人になって、またさらに考えたこと。そして、それらはすべて繋がっているのだということを、たくさんのご自身の体験とエピソードを交えながら語ってくれていた。

そう、諭すのではなく、ひたすら語りかけてくれている本だった。

いつになったら大人になるの?

ああ、あの本とこんな形で再会できるとは! そんな思いで再読した。

子どものころ、確かに私も「いつか大人になる」と思っていた。それがハタチなのか、社会に出たときなのかわからないけど、子どもと大人の境界線なるものが、どこかに存在していると信じていた。

あれから40年もの月日が流れ、50歳を超えた今、思う。境界線なんてどこにもなかった、と。

10歳の私も、20歳の私も、30歳の私も、今の私の中にしっかり存在している。「繋がっている」という表現がいちばんピッタリくる。きっとこの先、60代、70代になっても、そう変わらない感覚でいるんじゃないかと思う。

大切なものに出会う子ども時代を

幼いころに学者を志していた大江少年が、文学関係の仕事をしようと思い立ったのは、15歳になったころだったそうだ。

そのときのことを、大江さんはこの本の中でこう書いている。

「他の分野の努力と比較して、本を読んだり文章を書き写したりすることには、自分が苦しいと感じない、と気づいたのです」

この言葉、どこかで聞いた気がする……。

作曲家・小関裕而(こせき・ゆうじ)さんの生涯をモデルにしたNHKの朝ドラ「エール」で、主人公の古山裕一が恩師から言われ、大切にし続けた言葉も、たしかこれに似ていた。

子どものころに何かに出会い、それが自分にとって大切なものだとわかること、それを手離さないと決めること。それを志というのかもしれない。

子どもから大人への時間は、切り替わるのではなくて、続いている。繋がっている。だからこそ、出発点の子ども時代を大切に、思う存分に過ごしてほしい。

この本を入学の記念にと新入生に託してくれる学校で、娘には実り多き学生生活を送ってほしいと願う。

私が先に読んじゃったけどね。

 

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