ZOOMという不思議な時間

日々のこと

2020年夏、繋がるだろうか…、途中で画面が固まって中断しないだろうか…と不安だらけで始めたZOOM。
10か月ほど経った今では、日常の風景になりつつある。

ZOOMは救世主か?

コロナ禍で対面での仕事が最小限になった。というより、現在では皆無に等しい。医師に取材して医療関係の記事を書いている私にとって、取材ができない状況は致命的だった。少なくとも最初の数カ月は仕事が途絶えた。

とはいえ雑誌は発行される。Web雑誌もアップされる。ならば記事を書けないなんて言っていられない。

苦し紛れに電話インタビューを試みた。うまくいくこともあったが、顔が見えない、表情を感じ取れないやりとりは、掌から砂が零れ落ちるように大事なものが掬えないもどかしさが残った。

そんな状況を救ってくれたのがZOOMだ。

PC

最初はおっかなびっくりの半信半疑だったけれど、今では取材だけでなく、編集者との打合せ、ときには友人との再会もZOOMのお世話になっている。

パソコン相手ではあるけれど、顔が見える対話はやっぱりいい。もちろん、直接会って、同じ空気を吸いながら、ランチやお茶を挟んで語らいたい。でも、それが叶わぬ今、メールより、電話より、やはり表情を感じながら話ができるZOOMは、少なくとも「コミュニケーション」ができるように思う。

少しずつ現実に戻っていく

ただ、ZOOMを終わらせるときの味気無さには、いまだに慣れることができない。

「じゃあ、さようなら」と言ってすることが、クリック1回。

その瞬間、今まで話をしていた相手が目の前からいなくなる。なんだか、夢から覚めて現実に引き戻されたような、ヘンな感覚だ。

気付いたらリビングにひとり、ポツンと取り残されている。

何をしたらいいか分からず、「とりあえず、コーヒー飲もう」といつも思う。お湯を沸かしながら、さっきまでと同じ空間に私はいるのかな? ここはどこだったっけ?…なんて思うこともある。なかなか戻ってこれない。

コーヒー淹れる

コーヒーを飲みながら、そんな違和感をゆっくり馴染ませて、少しずつ現実に戻っていく。最近では、この時間も楽しむようになった。そして、コーヒーの摂取量が増えた。

これから先、コロナがどうなるのか、人と思う存分会える日がいつ戻るのか、今はまだわからない。でも、人と繋がろうとすることは少なくともできる。その方法はきっと、ZOOMだけではないはずだ。

 

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