大切にされると、ものにも力が宿ると思う
週末、娘と口喧嘩になったあと、なぜか二人で白玉団子を食べた。
どうしてもわかってほしいこと
そして、何事もなかったかのように時間は流れたわけだけど……。いや、私には、どうしても娘にわかってもらいたいことがあった。
それは、自分自身に関わるものを大切にしてほしい――ということ。
使うもの、着るもの、食べるもの……日々、手にする1つひとつのものを、邪険にしないでほしい。大事にしてほしい、ということだ。
そういうことは、きっと親の姿を見て自然に学んでいくものなんだろう。口でとやかく言うことではない、とわかってはいる。
私自身、人に言えるほど丁寧に生きているわけではなく、つまり、娘にそんな姿を見せてこれたかというと、残念ながら違うのだと思う。
だけど、これは私の願い。
自分の身の周りのものを大切にしてほしい。それはきっと、これから先の娘の幸せに繋がると信じているから。
なぜ、ここは落ち着くのだろう
で、私は娘を、私の大好きな場所に連れて行くことにした。
その場所とは、ここ(ブログ)にもときどき登場するカフェ「珈琲飄々」。
じゅんさい池のほとりに佇む一軒家のカフェは、私の安息の場所だ。心がざわつくことがあっても、一人でここを訪れて、たくさんの古書や絵本、そしてマスター手作りのポチ袋などを眺めていると、不思議と落ち着く。
なぜだろうと考えてみた。
たぶん、ここにあるものがすべて、とても大切にされているから。
大切に長い間読み継がれてきた本、丁寧に手作りされたポチ袋や栞、そして、マスターが究極なまでに丁寧に淹れてくれる珈琲。
1つひとつが心に沁みる。大切にされているものたちは、それじたいに静かな力が漲っている。その力は、手にした人、見た人にも伝わってくるんじゃないだろうか。
逆もしかり。邪険に扱われているもの、大事にされないものは、その持ち主を大切にしない、と私は思う。
冷たいのに温まる飲み物
身の周りのものたちに愛されて日々を過ごせたら、どんなに幸せだろう。
そのためには、自分自身が、周りのものを大切に思って生きていくこと。そのことを確認したくなると、たぶん私は「珈琲飄々」に足が向く。
昨日、はじめて娘と一緒に「飄々」へ行った。
私は珈琲、娘はジンジャーエール、そして1つずつ、フルーツケーキをいただいた。すべてマスターのお手製。
珈琲がいつものように五臓六腑に沁みていく。フルーツケーキは優しくもズシリと響く味。コーヒーとの相性も抜群だ。
ジンジャーエールを一口飲んだ娘は、驚いた表情でつぶやいた。
「おいしい……」
これまでに一度も飲んだことのないジンジャーエールだったそうだ。
帰り道、満月が東に昇りかけた夕暮れの道を歩きながら、娘が言った。
「あのジンジャーエール、冷たいのに、体があったまったよ。なんでだろう。生姜かなぁ……」
そうだね。飄々のものは体が温まる。心が温まる。生姜もあるけど、きっとそれだけじゃない。
そういうことなんだと思う。
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