クリスマスイブの夜、鶏の丸焼きをいただく

日々のこと

鶏

ここ数年、家族のリクエストで、クリスマスイブには鶏の丸焼きを作る。

魚が食べられなかった

鶏の丸焼きなんて残酷な食べものを私が作ることになるなんて、子どものころは想像もしなかった。

小学校何年生だっただろうか、私は、生きているものを殺して食べることに、やたら抵抗を感じていた時期がある。

とくに魚。

アジやサンマなど、泳いでいる姿そのままが食卓に出てくるので、子どもにとっては、わかりやすく残酷。死んだ魚と目が合おうものなら、一瞬で食欲が失せた。

そんな私に当時、父は、「魚は人間に食べられると嬉しいんだよ」という、ワケのわからないことを言った。

「そんなわけないじゃん。人間ってなんて自分勝手なのだろう…」と思った。

「ドナドナ」という歌

当時、学校の帰りの会などで、なぜかよく「ドナドナ」を歌っていて、これを歌うと悲しくなった。

子牛が市場へ売られていく風景を表現した歌で、当時、音楽でも歌ったし、音楽発表会で「ドナドナ」を歌うクラスもあった。なぜ、こんな残酷な歌をみんなで声を合わせて高らかに歌うんだろう……と不思議でならなかった。

そう思いながら私も歌っていたし、メランコリーなメロディが耳について、数十年経った今でも、ふとしたときに口ずさんでいたりする。

そういえば当時、日直の女の子が、帰りの会で「ドナドナを歌います」と言うところを「ドムドムを歌います」と言って、爆笑になったことがある。

ドムドムというのは、当時人気だったファストフードの店。私もドムドムのソフトクリームが好きだった。そのときみんなでクスクス笑いながら歌ったドナドナは、楽しかったなぁ。

話はそれたけど、とにかく「殺生」にやたら敏感になっていたのは1年ほど?  いや、数か月のことだったかもしれない。だけど、その時期はやたらと「人は何かを殺して食べている」ことが頭から離れなかった。

そんなこと考えてると、食べられるものがなくなっていく。植物も生きているのだから、大根も人参も食べられないことになってしまう。そうか……殺して食べることを拒否したら、私たちは生きていけないんだと思い知った。そして、観念した覚えがある。

丸焼きと向き合うとき

あれから云十年、クリスマスイブの前日から鶏を丸ごと一晩、醤油ダレに漬け込んで、オーブンで焼く私を、当時の私が見たら何と言うだろう。

きっと、顔をしかめてこう言う。

「信じられない! ざ・ん・こ・く!」

私とて、この調理過程には、やっぱり思うところがある。頭だけない鶏一羽を袋から出すときはやっぱり不気味だし、残酷だと思う。

そして、焼き上がり、オーブンから出てきた丸焼きを見て、思うのだ。

「私たちは命をいただいて生きているのだから、きちんと食べ尽くさないとね」と。

で、クリスマスイブの昨晩、帰宅の遅い夫には塊をとりわけ、娘と二人で丸焼きに向き合った。

当然、食べきれない。冷蔵庫で一晩寝かせて、今朝は鶏肉の雑炊、そしてお昼には鶏とほうれん草のパスタ。丸一日かけて、食べ尽くした。完璧なまでに丸ごと一羽、家族3人でいただいた。

私たち家族の「命」となってくれた鶏さんに感謝を込めて――。

 

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