アンチエイジングに違和感
アンチエイジングという言葉に、ずっと疑問を感じている。
年齢って逆らうもの?
いつからだろう。ファッション誌のメイク特集でこの言葉が連呼されるようになったのは。
直訳すると、年齢を重ねること(≒エイジング)を否定する(≒アンチ)?
カタカナにするとちょっとカッコよくなった風で、本来の意味がオブラートに包まれるけど、平たく言えば、若さ礼讃。年齢を重ねること、つまり老いることを忌み嫌っている言葉だと思う。
だから、この言葉にはずっと違和感を覚えてきた。
いや、正直言うと、30代のころはあまり感じていなかった。
当時はこの言葉が使われ始めたころで、「ふーん」と思ったくらいだったように思う。
40代になって、ちょっと違和感を覚えた。
年齢って逆らうものなの?
若く見せるほうがいいってこと?
そして50代。圧倒的に違和感しかない。
そんなことして何になるの?
50代でアンチエイジングにいそしんで、40代に見られたらうれしい?
べつにーである。
日本社会は幼稚なの?!
そんなことに時間とお金をかけたくはない。
素敵に見られることはうれしい。でもそれは、若く見られることとは違うんじゃないかと思う。若く見られることに絶大なる価値を置くなんて、そんな社会、ちょっとごめんだ。
……なんて言おうもんなら「めんどくさいヤツ」になるから、いちいち噛みついてはいないけど、そもそも日本社会の幼さってそこにあるんじゃないだろうか。
「若いこと」や「若く見えること」に価値があるのだとしたら、50年以上生きてきた私たちの人生は、年々、価値が失われていってるってこと?
冗談じゃない。
私はいま50代だけど、20代のころの私に戻りたいとは別に思わない。
いや、別の意味で、そこに戻れたらあのときこうしたけどなぁ…ってことは幾つかある。
ただ、50年という歳月の中でいろんな経験をしてきたからこそ、少しは見えるようになったり感じられるようになってきたことがあるわけで、それらのない20代の私に、いまから戻りたいとは思わない。
目指すは若さ礼讃ではない
魅力とか成熟ということを、もっと大切にできる日本になるといいなあと思う。
メイクも、目指すのはアンチエイジングではないんじゃないかな。
逆行してどうする?
若さを礼讃してどうする?
年齢を重ねていくことを悔いてどうする?
私はそもそも最低限のメイクしかしないから(最近ではそれさえしない?!)偉そうなことは言えないけど、それでもメイクするときは若見えなんて目指さない。しいて言うなら、落ち着きと艶感には憧れるけど、これについては技術が伴わない。(涙)
上手に老いたい
最近、仕事絡みで、久坂部羊・著『人はどう老いるのか』『人はどう死ぬのか』を読んだ。目から鱗が落ちました。
著者は医師にして小説家。
数十年間、高齢者医療に携わり、「老い」と「死」を間近に見つめ続けてきた著者だから、きれいごとでなく、死が迫るとはどういうことか、そのとき私たちはどうしたら後悔なく死を迎えられるのか、そして上手に老いるとはどういうことかが描かれる。
私はこれから、上手に老いたい。
きっと、50代の私にはまだ見えていない世界が、60代、70代には待っている。それらを楽しめるように老いていきたい。そして、いつの日か老いて体の自由がきかなくなる日がやってきたら、慌てふためくのでなく、「そうか、来たな」と受け入れられるようになりたい。
難しいけれど、それこそが成熟とか魅力ではないかと思う。
にほんブログ村
↑ ブログ村のランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません