突然の地震に何を思うか
そろそろベッドに入ろうかと思い、スマホを充電器に差し込んだ瞬間、地面が揺れた。
なかなか収まらない揺れの中で
我が家はマンションなので「地面」というのは語弊かもしれないが、とにかく足元が揺れた。
ただ、スマホを手にしていたけれど、地震速報は何も届いていない。ならば、たいしたことはないかな……と思った(思おうとした)その直後、グラグラッと来た。
と同時に、地震速報がけたたましく鳴り響く。「遅いよ~!」と突っ込みながら、娘が眠る寝室へ走った。
まず、娘をタンスや天井の照明から遠ざけるためにベッドの壁側に寄せようとしたら、娘はすでに起きていて、身を固くしていた。
その娘に覆いかぶさり、揺れが引くのを待ったのだが、これがなかなか収まらない。
ときどき起こる地震では、しばらくグラグラして徐々に収まっていくのに、今回の揺れは何だかヘン。横に揺れ、その揺れが大きくなり、長い。いつもと違う……と感じていた。
そして、揺れながら思っていたのは、怖さ以上に、娘と一緒のときでよかった、ということ。
揺れているさなか、私は、ただそう思っていた。
その数時間前、娘は、ようやく実現した学校の宿泊学習(ホワイトスクール)から帰宅したばかりだったのだ。
もしホワイトスクールが1日ずれていたら、もしこの地震が1日早く起こっていたら、と思うと身震いした。揺れているとき、娘を腕に抱きながら、怖いけれど、ここに娘がいるときでよかった、と思っていたのがリアルな実感だった。
神田うのちゃんも同じことを思っていた?!
今、世界の心配ごとは、ウクライナとコロナ。この二つがあまりに大きすぎて、地震への警戒がどこか遠のいていたように思う。
数日前の3月11日、黙とうをして、あの日を振り返ったばかりだったのに、どこか遠い日を思っていたような自分に気づいた。
違う、違う。あの日は決して過去ではない。
あの日は今に繋がっていて、今回の地震とも繋がっている。そして、これからも続いていく。
今を生きる私たちには、なんと懸念事案が多いことだろう。それらとしっかり向き合っていかなければならない一方、常に心配ばかりしていたら人生が暗く沈んでしまう。
できる対策を淡々と進めながら、それ以上は悩まない、ある意味、開き直るというスタンスを保つ難しさを、改めて感じた。それを「バランス感覚」というのだろう。もしかしたら、これがいちばん難しいことかもしれない。
ただ、やっぱり思う。
突然襲ってくる地震、どうか、せめて、娘と一緒にいるときにしてほしい。それだけは、願わずにいられない。
そんなことを思って朝を迎えたら、ワイドショーで、神田うのさんが、まったく同じことを言っていた。
あのとき、あの瞬間、どれだけたくさんの母親が同じことを思ったのだろう。その思いが一つになったら、どれほど大きな力になるだろう。気づいたら、そんなことをぼんやり考えていた。
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