夏井いつきさん、結球するとき
先日、NHKの「プロフェッショナル」に、俳人の夏井いつきさんが登場した。
俳句って面白いの?!
敷居の高かった俳句を「面白いかもしれない!」と思ったのは、やっぱりバラエティ番組「プレバト!!」がきっかけだったと思う。
有名人だろうが巨匠だろうが、おかまいなしにバッサバッサとなぎ倒す先生のトークに惹かれたこともあるけれど、何より、夏井さんが一か所、言葉を入れ替えただけで、その句の情景が立ち上がってくるさまに舌を巻いた。
新鮮な驚きだったし、言葉の力を改めて感じた瞬間でもあった。
「プレバト!!」を機に、俳句にのめり込むお笑い芸人が増えているというのも、これまた面白い現象だ。
世の中に溢れる暴言の正体……
夏井いつきさんは、その昔、松山市の中学の国語教師だった(夏目漱石みたい)。当時、暴言や暴力に訴えるヤンチャな生徒たちを見ていて、思ったそうだ。
この子たち、ほんとは別のことを言いたいのに、言葉の技術が足りないから、こんな表現になってしまう。
自分の考えたことを、伝えたい意味で、伝えたい熱量で、ちゃんと相手に伝えられる言葉の技術を育ててやりたい。
金八先生もビックリの先生だ。こんな眼差しを生徒たちに向ける先生が本当にいたんだなぁ。
そして、思った。
世の中にはびこる「暴言」のほとんどが、実はそういうことなのかもしれない、と。
ほんとはその人も、そんなことを言いたいわけじゃない。だけど、伝える言葉の技術がなくて、そう言うしかない。そんなことが世界中に溢れているような気がする……。
俳句は「ぬちぐすい」
夏井さん自身、決して順風満帆な人生だったわけではない。節目節目で「俳句に救われてきた」。そして言う。
誰かと誰かが分かり合えるとしたら、それは言葉以外ありえない。
人と人は、言葉でしか繋がれない。
夏井さんにとって俳句は仕事ではなく、生きることそのものなんだと、番組全体を通して伝わってきた。
「さあ、俳句を作りましょう」なんて時間は、どうやら彼女の生活の中にはない。
日々、普通に暮らして、ときに近所を歩き、ときに実家を片付け、ときに墓参りし、そのときどきに見る風景や感じる思いを、「記憶のネガ」としてひたすら記録する。
そのネガが自然に組み合って、あるとき俳句作品として「結球」する。
結球――それは、きれいな丸い球になること。
水が、露という丸い球になって、てのひらからフワッと飛び立つ感じだそうだ。
こうも言っていた。
私にとって、俳句は「ぬちぐすい」
沖縄のほうの言葉で、「命の薬」と書いて「ぬちぐすい」と読むらしい。
俳句に救われてきた夏井さんは、自分の作品が次はほかの誰かの「ぬちぐすい」になることを、そして俳句には「ぬちぐすい」の循環があることを知ったんだそうだ。
結球して、夏井さんのてのひらからフワッと飛び立った俳句は、その球をキャッチした誰かの「ぬちぐすい」になる。さらに、その人が作った俳句が、またほかの誰かの「ぬちぐすい」になっていく。いい循環は、みんなを幸せにしてくれる。
最後に、夏井さんのこんな言葉で番組は終わった。
俳句は真剣な遊びなの。
自分の心と体を喜ばせる真剣な遊び。
私は一生、真剣に遊びつくす。
私の「ぬちぐすい」は何だろう。
なんとなくわかってる。それを大切に、丸く育ててみようと思う。
いつか結球したら、私のてのひらからフワッと飛び立って、ほかの誰かの「ぬちぐすい」になるだろうか。
なるといいな。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません