小学生最後のピアノ発表会に、娘の成長を見る
今日はゴールデンウィーク終盤の平日。
2年半ぶりの舞台
娘は学校。夫は出勤。束の間の日常を取り戻し、ちょっとまったり過ごしている私。
久々に規制のないゴールデンウィークということで、ここ数日はどこも混雑していたようだ。
数年前なら、アンデルセン渋滞に飛び込んだだろうけど、いまや娘は6年生。親と一緒にアンデルセン公園に行きたいとは言わなくなってしまった。それはそれで少し寂しい。
で、今年の娘はと言うと、連休前半はピアノの発表会。コロナ禍で長らく発表会もお預けだったので、2年半ぶりの舞台だった。
普段はほんとーに練習しない娘だけど、発表会となると気合いが入る。ただし、最後の2週間だけと限定的ではあるけれど。そして、発表会での舞台経験を経ると、明らかにピアノが上達する。
娘のピアノを見ていると、タクシーの料金体系グラフを思い起こす。
しばらく水平に推移して、ある時点でクイッと上がる。また水平飛行して、またクイッと上がる。
クイッと上がる地点が「発表会」。発表会は2年に一度しかないので、娘の場合、水平飛行期間がやたら長い(^▽^;)
しょっちゅう発表会があったら、ずいぶん上達するだろうになぁ……。
本番2週間前にスイッチが入った――
今年の発表会で、初のショパンに挑戦することにした娘。先生からの薦めもあって決めたらしいその曲は、ワルツ3番(Opus34-2)。
ショパンのワルツの中ではメランコリック。こんな抒情的な曲を、元気印の小6女子が弾けるのかと、私は訝しんだ。
いや、発表会2週間前までは「無理だよぉ…」と正直、思っていた。指の動きが早いわけではないけれど、だからこそ、間の取り方、優しいタッチが必要とされる曲。暇さえあれば公園を走り回っている娘には、まだ早いだろうと思ったのだ。
ところが、本番2週間前あたりからスイッチが入った娘。練習時間こそ長くはなかったけれど、毎日、10分とか20分、ガチでピアノに向かい、そのときはなんだかちょっと大人びた雰囲気を漂わせながら、ワルツ3番を弾いていた。
曲の世界の中で自らを遊ばせているかのようにすら感じられ、本番1週間前あたりからは、私も「へえ~」と思いながら、娘の奏でるワルツに耳を傾けた。
ついダメ出ししてしまう私の悪い癖。それを極力抑えつつ、ときどきやってしまって、娘に扉を閉められたりもしたけど、正直、最後の1週間の上達ぶりには舌を巻いた。
ビデオに撮りたい、じかに観たい
そして当日。
これまでの発表会では緊張らしい緊張をしたことなかった娘が、今年は違っていた。
前半が終了して、後半に入る前の休憩時間には、既に、明らかに緊張していた。持っていたハンカチはこの時点で汗にぬれてクシャクシャ。私のハンカチを渡すと、黙って握った。
そして本番。
生まれ持った舞台度胸なのか、開き直りなのか、なかなか落ち着いた演奏を披露した。
画面じゃなく、じかに観たかったので、スマホでビデオ撮影する腕を気持ちでロック。
……したつもりが、どうしても少しずつずれて、気づくとビデオ画面が歪んだりもした。まあいい。だって、この目でしっかり観たかったから。
ミスタッチももちろんあったけど、5分半の長い曲を、まあ、よく弾き切ったと思う。小学生最後の発表会は、本人も満足いく出来だったようだ。
応援に駆けつけてくれた祖父母から手渡された花束を両腕に抱えて持ち帰り、夜には早速、自ら、いくつもの瓶に活けていた。
細く長く、ピアノを続けてほしい
決して練習好きな娘ではないけれど、発表会を経験すると、一つ階段を上る。できれば、中学生になってもピアノを続けていけるといいなと私は願う。
私自身、中学1年生で部活を理由にピアノを辞めてしまったことを、たぶん、心の片隅でほんのちょっと後悔していた。「あのときやめていなかったら」と思ったことも数回あったように思う。
5年前、娘がピアノを習い始め、ピアノが我が家にやってきた。そのピアノは私が40年前に弾いていたアップライトピアノ。
いつの日か誰かが弾くかもしれないと、母が処分せずに実家に置き続けてくれたピアノだ。そのピアノと一緒にいて、どうして弾かずにおれようか。
というわけで、数年前、私も35年ぶりにピアノを再開した。音を奏でられる幸せを感じられる今が愛しい。
娘もきっと中学生になって忙しくなったら、ピアノをやめようかどうか悩む日がくるのだろう。本人が決めることだけど、できれば少しずつでも続けていってほしいと私は願う。
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