フラメンコという時間

日々のこと

影

フラメンコの発表会は、毎年10月末。発表会(今年はおさらい会)を区切りに、11月から新しい曲に変わるので、私たちのフラメンコサークルでは11月が年度初めだ。

いきなり賑やか、テンポが速い

先月まで、シギリージャを踊っていた。シギリージャは悲しみの曲。

「2、2、3、3、2」のカウントで、溜めをたっぷり取りながら12拍子を刻む。その独特のリズムが体に染みついたのか、なかなか頭から抜けない。

そんな中で始まったのは、シギリージャとは真反対のアレグリアス。喜びの唄だ。こちらは、3カウントごとにアクセントがくる12拍子。同じ12拍子なのにこうも違うものかと思うほど、リズムが違う。

頭から違う。静寂から入るシギリージャとは対照的に、いきなり賑やかな入り。テンポが速い。初日から必死。前途多難。そして、すごく楽しい。

週に一度、必ず会う

地元の公民館に、毎週金曜日の決まった時間に、年齢も、仕事も、環境も違うメンバーが集う。週に一度、必ず会う。驚くほど、皆、休まない。

もともと1クラス50分のレッスンだったけど、コロナ禍に入って公民館の開館時間に規制がかかり、1サークルのトータル時間が短縮されたため、レッスン時間も40分に減った。

かつ、緊急事態宣言が出ると、公民館じたいが閉鎖される。閉鎖と短縮が交互に訪れる中、それでもめげず、公民館が開いてる限り、毎週、淡々と練習を続けてきた。

コロナ禍前はあまり考えなかったけど、「これってすごいなぁ…」と思うようになった。

この時間を作り出す

以前は、互いの私生活に触れることなく、週に1度、小一時間をともに過ごす仲間だった。

それが心地よくもあったのだけど、1年経ち、2年経ち、さらにコロナ禍の中で、どうやってフラメンコを続けるかなんてことを話してるうちに、少しずつ、互いの環境なども垣間見えるようになってきた。

皆、毎回、よっぽどのことがない限り休まない。だけど、それは1人ひとりが、金曜のこの時間を作り出すために、ある意味、綱渡りのような調整をしていることもわかってきた。

仕事のシフトをなんとか調整したり、子どもの送り迎えの時間を駆使したり、普段は休む間もなく介護に追われていたり。

1人ひとり、皆、何か抱えている。毎日、ご機嫌に暮らしているわけではない。

いろいろあるけど、大変なこともいっぱいあるけど、でも、金曜日のこの時間は「おはよう!」と笑って会う。踊る。とにかく踊る。そして「また来週!」と手を振って、それぞれの暮らしに戻っていく。

フラメンコが好きで、踊るのが楽しいから。だから、必ずここに来る。

いつの間にか、週に一度の公民館が、私にとっても、なくてはならないものになっている。

 

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