また巡ってきたフリージアに思う

考えたこと

花

今年もフリージアの季節が巡ってきた。

フリージアとザボンを描く

我が家が入っているマンションは、月初めに、季節のお花が1本、各戸に届けられる。

引っ越してきたときは、「それって管理費に含まれてるってことよね」なんてケチなことを思ったりもしたけど、ここに転居してきてもうすぐ6年、1本のお花に幾度となく元気づけられ、いつしか月初を楽しみにするようになっていた。

6年住んでいると、季節は6巡。ほぼ1年~2年に一度の割合で、同じお花が巡ってくることになる。

先日、2月1日に届いたのは、黄色いフリージアだった。

「あれから1年以上経ったのね……」

娘も今月のお花を見た瞬間、「あ、フリージアだ! 絵を描いたよね」と第一声。

2020年12月、一昨年末に届いたのが、黄色いフリージアだった。

当時も日本全国、コロナ禍真っただ中。

とくに一昨年末は12月に感染爆発が起きていたこともあって、「ステイホームの年末年始」が毎日のように大々的に呼びかけられていた。父母宅にも、年始の買い物(福袋)にも行くことができず、家で静かな冬休みを過ごすしかなかった。

そんなとき、母からとてつもなく大きなレモンイエローのザボンが送られてきた。ちょうど食卓の一輪挿しに活けていたフリージアと並べたら、イエロー同士、なんだかとてもいい感じだったのだ。

そこで娘と二人、暇に任せて、色鉛筆で絵を描いた。2020年12月のことだ。

絵

私は、大人なので(?)、ただ目の前のものをそのまま描こうとした(左)。

一方、娘は当時小学4年生。子どもならではの目線で、不必要なものは躊躇なくカット。ランチョンマットには目もくれず、フリージアと一緒に活けていたカスミソウも無視。代わりに、ザボンの大きさがあまりに強烈だったのだろう、そもそも大きかったけど、その大きさはさらに誇張されていた(右)。

そして、娘がもっとも時間をかけて描いていたのは、フリージアの花……ではなく、茎。

フリージアは枝ぶり(茎)が特徴的だ。そこに目が行ったのだろう。後ほど2枚の絵を見た母は、娘の絵で「フリージア」と分かったと言う。

食卓にちょっとしたデジャブが

あのときと同じフリージアが、「今月のお花」として2022年2月1日に届いた。色も、あのときと同じ黄色。

ちょうど2日前に、偶然、母から大きな蜜柑をもらってきたところだったので、また食卓に並べてみた。1年2カ月の時を経て、「フリージアと柑橘」という偶然にも同じ組み合わせ(ザボンではないけど)。我が家の食卓は今、ちょっとしたデジャブだ。

今もあのときと同じく、コロナ禍真っただ中。小学校でもチラホラ学級閉鎖が出ている。

学校生活もいいろいろ制限が続く。ホワイトスクールは延期されたし、毎年恒例の百人一首大会もまたもや中止の模様。延期やら中止やらが決まるたびに、がっかりする子どもを見守るしかない私たち親も、かなりせつない。

あれから1年以上経ったのに、世の中は同じことを繰り返している。

「ワクチン接種が進まない」という状況も同じ。オミクロンは子どもたちへの感染拡大が顕著だから、これからさらに子どもたちの生活規制が厳しくなっていくのだろうか。

いろんなことが規制された状況下でも、たしかに楽しめることはいろいろある。だけど、それは期限があってこそだろう。いつまで続くかわからない状態の中で、楽しみを次々奪われていくのは、あまりに酷い。

もちろん、感染拡大は防がないとならない。なんとしても。

だけど……とやっぱり思ってしまう。小学生時代は一生に一度しかない。3年生の終わりにコロナ禍に入った娘は、もうすぐ6年生になる。

 

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