娘の誕生日に思う

考えたこと

今日は娘の11回目の誕生日。11年前の今日のことを、昨日のことのように思い出す。

あのときの助産師さんを忘れない

16時間の陣痛のさなか、頼りは助産師さんの手だった。

「耐えられなくなったら呼んでね」とブザーを渡され、何度も押しちゃいけないと思いながらも、あまりの痛さに何度押してしまったことだろう。

そのたびに「はーい!」と明るく現われて、そこしかないピンポイントの場所を、絶妙な力強さでマッサージしてくれた。あのとき、涙ながらに助産師という仕事の尊さを知った。

あれから11年。時が流れるのは本当に早い。
私自身は何も変わっていない(つもり)だけど、娘は大きくなった。自分の考えや見方を持つようになった。だから生意気にもなった。ときどき本気でぶつかる。それが成長。それでいい。

今日は私が母になった日。
娘よ、生まれてきてくれて、ありがとう。

ピアノがくれた再会のとき

中学時代にやめてしまったピアノを、3年前に再開した。30年以上のブランクを埋めるつもりはなく、昔とは違った気持ちでピアノに触れている。ただ純粋に楽しい。

メロディーを奏でることはもちろん楽しいが、どんな曲でも、フレーズごとに目に浮かぶ景色が変わるのだ。風景だったり、人だったり。1曲の中で、その景色は何通りも変化する。

楽譜
ときには数十年会っていない懐かしい友達や先生まで登場する。偶然かと思いきや、その曲の、そのフレーズに差し掛かると、必ずまた現われてくれる。

コロナ禍の日々、ひとりピアノに向かいながら、たくさんの懐かしい人や風景を訪ねている。

 

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