「待つ」ということ

考えたこと

鉄線

子どもに対してガミガミ言わないでいるとは何と難しいことか……と、つくづく思う。

つい口をついて出る小言

赤ちゃん時代は、ニコッと笑っただけで嬉しかったものだ。「ハイハイした」「立ち上がった」「歩いた!」と、そのたびに手を叩いて喜んだ。ことに娘は歩き始めるのが遅くて、1歳半を過ぎてもまだ、公園中をハイハイで闊歩していた。

あれから8年、小学5年生になった娘に対して、気付くとガミガミ小言ばかり言ってしまう自分に、ときどき愕然とする。こんなこと言いたくないのに、なぜこんなこと言わせるの? ……と、気付くとイライラしてしまうのだ。

小言

理由はつまらないことだ。いつまでもテレビを見てるとか、本や折り紙を出しっぱなしにしてるとか、朝あわてて宿題をしているとか……挙げるとキリがない。

気付くとつい、考える前に、口をついて出てきてしまうのだ。「寝る時間はとっくに過ぎてるでしょ!」「出したものは片づけて!」「なぜ宿題を昨日しておかないの!?」と。

そのたびに一瞬にして険悪な雰囲気ができあがり、娘は悲しい顔をする。いや、最近では聞いていないのか、あまり反応しなくなってきたように思う。それは、もしかしたら娘の自分を守る術なのかもしれない。冷静なときはそう思えるのだが、私自身に余裕がないときは、さらに怒りがヒートアップしてしまうこともある。

私はなぜ待てないのだろう

子育ては「いかに待てるか」だと何かで読んだことがある。本当にそうだと思う。わかっているのに、私はなぜ待てないのだろう……とため息が出る。

2歳のあの頃は、笑っているだけで、歩いているだけで、元気でいるだけで、あんなに嬉しかったのに。
1年、1年、大きくなり、小学生になり、低学年から高学年へと年月を経るにつれて、いつの間にか親は勝手に子どもに「できるようになる」ことを求めてしまう。

10歳なんだから片付けられて当たり前、時間内に支度ができて当たり前、宿題を終わらせて当たり前、というように。子どもにしてみたら迷惑な話だ。年々、求められることが増えていくのだから。

だよね。すごくわかる。娘が学校に行っている間、ひとりでほっと一息ついて考えればわかるのだ。生まれてきてくれただけで、元気でいてくれるだけで、それだけで十分だということが。そして、小言はやめよう!と心に決める。

親子

なのに、「ただいま!」と帰ってきて、ランドセルを投げ出す娘に、反射的に言葉をぶつけてしまう。
「先に手を洗ってきて!」「ランドセルを投げないで!」と。うーむ。私には学習ができないのだろうか……。

「待つ」って本当に難しい

これは結局、親の私自身が、娘のことが気になってしかたないってことなんだ……と思い当たった。

今日は、何も言わずに見守ってみよう。今日こそは小言を言わず、娘がしたいことを邪魔しないで待ってあげよう。そろそろ私自身が、少しずつ娘離れをしていってもいい時期なのかもしれない。

「待つ」って本当に難しい。だけどきっと、それができるようになったら、日常のなんてことない時間が、今よりもっともっと楽しく柔らかなものになるに違いない。

娘が元気でいてくれるだけで十分。私にとって、そのことだけは昔も今も変わらない真実なのだから。

走る

 

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