子どもの「ありのまま」とは?

日々のこと

秋空

ユング心理学のセラピスト・早乙女紀代美さんの講演を聴いた。

「珈琲飄々」を会場に

1カ月ほど前、不思議な巡り合わせで、2年ぶりに再会したカフェ「珈琲飄々」。

そのときお店に「早乙女紀代美先生のお話を聴く会」のチラシが置いてあった。テーマは「子育てにおける内向的な子どもと外向的な子ども」。聴いてみたいと思った。会場が「珈琲飄々」なのも心惹かれた。

チラシを1枚もらって持ち帰り、何日か迷った末、思い切って申し込んでみた。

講演会当日、「珈琲飄々」は定休日。いつものカフェスペースからテーブルは姿を消し、代わりにホワイトボードが置かれていた。ホワイトボードを中心に放射状に間隔を開けて配置された椅子10脚ほど。

「飄々」らしい、温かい雰囲気の会場が整っていた。

内向的タイプと外向的タイプ

人は、生まれながらに「タイプ」があるのだという。大きく分けて「内向的」と「外向的」。

内向的タイプは、興味のベクトルが自身の中(内側)に向かう。一方、外向的タイプは、興味のベクトルが外へ向けられる。

このタイプなるものは、1人ひとり皆、持って生まれてきたものであり、かつ、遺伝ではないということだ。どんな自分に生まれるかは、宇宙のみ、神のみぞ知る世界なのだろう。

年を重ねて大人になるにつれ、本来のタイプも薄まったり融合したりして少しずつ変化していくので、子ども時代こそが本来の自分自身。ありのままの自分なのだという。

たしかに、私自身、3人きょうだいだけど、3人とも性格も趣向もまったく違う。同じ環境で、同じように育てられても全然違うのだから、なるほど、納得だ。

内向的タイプの特徴は、「暗い、消極的、頑固、変化が苦手、友達が少ない、集団が苦手、冷たい(と思われる)、付き合いが悪い、褒められてもあまり喜ばない、変わっていると言われる…」。

一方、外向的タイプのそれは、「明るい、積極的、活発、素直、反応が速い、変化OK、友達が多い、集団OK、親切(と思われる)、付き合いがいい、褒められると喜ぶ、子どもらしいと言われる…」。

ここまではよく聞く話だ。ところが、ここから先が目から鱗だった。

内向的タイプ、外向的タイプの特徴は、あくまでも周囲からそう見られるだけで、内向的タイプだからといって、本人が実際に「暗い」わけでも「消極的」なわけでもない。外向的タイプとて、実際に「明るい」か「親切か」なんてわからない。単に、外からそう見えるだけだというのだ。

これは何を意味するのか。

在りのままってどういうこと?

内向的タイプは自分の内側に興味が向かうから、他人が気にならない。

だから一人でいても平気。人と一緒にいるより、自分が気になったことをとことん突き詰めて考えたり、観察したりしたい。それは周囲には「暗い」とか「変わってる」などと見られるけれど、本人はいたって幸せだし満足している。だから、何ら問題ないんだって。

だけど、よくあるのが、親が「1人でいることは寂しいことだ」と決めつけて、無理やり友達の輪に入れようとしたり、明るく振る舞うよう促したり。内向的な子どもにしてみたら、いい迷惑だ。1人で楽しく取り組んでいるのに、なぜ、他人に合わせて楽しくもないことを一緒にしないといけないの?と。

外向的タイプも同じ。こちらも「明るい」「親切」「友達が多い」などは、周囲にそう見られる特徴に過ぎない。興味の方向が自身の内側ではなく外側に向いているので、自然に他人の反応に敏感で、空気を読めてしまう。

その結果、「親切」と思われることが多いし、「反応が速い」に繋がるだけなんだそうだ。つまり、外向的タイプだからといって、べつに優しいわけでもなければ、楽観的なわけでもなし。ましてや傷付かないわけでもない。

私たち大人は、大きな勘違いをしているのかもしれない。私たちも昔は子どもだったのに。もっと言うと、今だって子どもだったころの本来の自分自身を、心の奥底にはしっかり持っていたりもするのに。

大人が思う「よい子」は、明るく積極的で素直で活発……。これって、外向的タイプの特徴てんこ盛りではないか!

いつも1人でいたり、1つのことだけに没頭している内向的な子に「外で友達と遊びなさい」と言い続けるのは、本来のその子自身を否定し続けることにほかならない。

かたや外向的タイプの子なら万事めでたしかというと、それも違うそうだ。明るく活発だから「手がかからない」と親は思いがちだけど、それも実は落とし穴。明るくて積極的だからといって、悩まないわけじゃない。つらくないわけでもない。実は、めちゃめちゃ繊細だったりすることもある。

さて……振り返って私自身はどうだろう。日々の暮らしの中で、ついつい小学生の娘に小言を並べてしまう。娘のために叱っているつもりだけど、いや、実は、そうであってほしいと願う私自身の欲求でしかないのかもしれない。

もしそうなら、それはただの押し付けでしかなくて、娘にとってはいい迷惑だ。いやはや、今一度、私自身を見つめ直して考えてみよう。

内向的な甥っ子の飛躍

そういえば15年ほど前、一時期、妹が悩んでいたことを思い出した。

1人でひたすら駅名や世界の国旗名を書き続けている「ちょっと変わり者」の就学前の息子を心配していた。友達との集まりに連れて行っても、すぐに輪から離れて一人で別のことしてるのよ……と。友達と遊ばせようと何度か試みたようだったけど、あるときパタリとやめた。

妹いわく、「そのときの本人の様子を見てると、どうやらみんなと遊ぶより1人で好きなことをしていたいようなの」。

1人が寂しくないどころか、夢中に楽しく遊んでいるから、無理に輪に入れようとするのはやめたわ、と笑っていた。たぶん、悩んだ末、そうすることにしたのだろうけど。

当時独身だった私にはいまいち実感がわかなかったけれど、なかなか潔い対応だと、我が妹ながら感心したのでよく覚えている。

今思えばこれがよかったのだろう。

放っておいてもらい、のびのび1人遊びを楽しんだ彼は、その後、自分の好きな世界をぐんぐん伸ばし、同時にその興味は多方面を網羅。高校を卒業するころには、親世代の私たちの想像を超えた場所へ羽ばたいた。同じ世界の仲間もできて、今では心通う友人に囲まれながら、自身の世界をさらに探究している。

 

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